植物細胞システム計測学研究室Plant Biophysics/Biochemistry Research Laboratory

研究活動

研究内容

植物細胞システム計測学教育研究分野では,植物水分生理学を軸に,そこに質量分析の技術を取り入れることで,独自の1植物細胞を対象にしたリアルタイム代謝産物計測法を開発しました.当研究室では,この方法論の改良と,これを用いて,環境の変化に伴う農作物の生理応答や生理障害の機構解明に取り組んでいます.これまで,水ストレス,塩ストレス,温度ストレス条件下での植物の生長制御,果実糖集積機構,水稲高温障害,蜜入りリンゴについて明らかにしてきました.今後も研究を深化させ,食料生産分野における生産性向上に貢献します.

紹介記事:
植物の環境応答の仕組みを細胞・分子レベルで明らかにする | 最先端研究紹介 Infinity | 愛媛大学 (ehime-u.ac.jp)

研究内容1:1細胞生体計測法の開発と改良

図1.1   当研究室で開発したキャピラリー内に内部電極を埋設した1細胞生体計測法(ピコリットル・プレッシャープローブ・エレクトロスプレーイオン化質量分析法,picoPPESI-MS)のイオン化部の拡大写真(Nakashima et al., 2016).イオン化部の詳細については,Nakashima et al. (2016)のFigure S2参照.

植物組織は多くの細胞から構成されています.全ての細胞は同じDNAを親から受け継ぐものの,環境の変化に起因した生理障害,例えば,温暖化に伴うイネ白未熟粒(登熟期の高温乾燥風によって発生する乳白粒や,登熟初期の高温で発生する背白粒(図1.2)等のように,お米の一部が白く濁る現象)や,水分ストレスの関与するトマト尻腐れにみられるように,植物の環境応答は細胞毎に異なり,組織内で一様に起こらない場合があります.生理障害の要因を解明するには,ストレス下で成長中の植物の水分状態を把握しながら,組織中の細胞1つを対象にその生理情報を直接計測することが一つの有効な方法と考えられます.

図1.2  水稲高温障害の一例.登熟初期の高温で多発した背白粒.

そのようなニーズに応えるため,当研究室では,セルプレッシャープローブ(研究内容3参照)による1細胞の水分状態計測直後に,その細胞の代謝変化を捉えるべく,セルプレッシャープローブ法と,質量分析の技術を融合させることで,独自に1細胞生体計測法(ピコリットル・プレッシャープローブ・エレクトロスプレーイオン化質量分析法,picoPPESI-MS)を開発しました(Nakashima et al., 2016)(図1.2・1.3).

また,マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法(MALDI-TOF-MS)との組み合わせによるシングルセル代謝分析法(プレッシャープローブ・MALDI)についても方法論の開発に取り組んでいます(Gholipour et al., 2010).さらに,安定同位体とオービトラップ質量分析計とを組合せたトレーサー解析法も考案し,水稲の生理研究(高温乾燥風に伴う乳白粒発生メカニズムの解明,多収稲の登熟特性に関する亜種間差の解析)に用いています(Wada et al., 2014, 2017).

今後,研究室の長期目標である「スピーキング・セル・アプローチ」(研究室沿革参照)の実現に向けて本手法の改良を進めていきます.既存のpicoPPESI-MSシステムに改良を加え,計測対象を代謝産物以外にも拡張させることで,将来的には1細胞マルチオミクス解析法の構築を目指します.

図1.3 当研究室で開発したキャピラリー内に内部電極を埋設した改良型1細胞生体計測法(ピコリットル・プレッシャープローブ・エレクトロスプレーイオン化質量分析法,略称「picoPPESI-MS」)(Nakashima et al., 2016).トマト果実表面にある毛状突起(トライコーム)の柄細胞とこれに隣接する腺細胞を対象に,それぞれの細胞膨圧を計測した後,細胞溶液を採取,前処理なしに,直接イオン化し,高感度・高解像度に細胞液中の代謝産物を同定.このトマト果実のトライコームを用いた実験から,隣り合う細胞同士であっても,中身の成分の組成が大きく異なること.加えて,本解析法を用いることで,細胞間不均一性について細胞毎に解析可能であることが示されました.

図1.4  1細胞生体計測法(picoPPESI-MS)の外観

参考資料
ピコリットル・プレッシャープローブ・エレクトロスプレーイオン化質量分析法(picoPPESI-MS)の開発,(Nakashima et al., 2016)

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研究内容2:細胞スケールの植物の環境応答

研究室では,独自開発した1細胞生体計測法(ピコリットル・プレッシャープローブ・エレクトロスプレーイオン化質量分析法(picoPPESI-MS),Nakashima et al., 2016)を駆使して,温暖化環境下での農作物の生理応答を始め,種々の生理障害の研究に取り組んでいます.これまで,温暖化に伴う水稲高温登熟障害のメカニズム(フェーン型乳白粒,高温による背白粒形成と窒素施与による白濁抑制の機構,水稲高温不稔耐性に関連した1花粉粒でのメタボローム解析による花粉代謝の品種間差(図2.1)),蜜入りリンゴのメカニズム(図2.2),オウシュウトウヒ木部におけるリグニン代謝の制御機構(図2.3)等について,研究を行ってきました.

図2.1 成長中のイネ葯中の1花粉粒を対象に行ったpicoPPESI-MSによる代謝産物計測の様子(Wada et al., 2020

図2.2  蜜症発生に伴うリンゴ果実内の水の流れ(青矢印)(Wada et al., 2021)(以下の研究報告リスト参照)

図2.3  オウシュウトウヒ木部におけるリグニン代謝の制御機構(Blokhina et al., 2019).
ヘルシンキ大学・フィンランド自然資源研究所との共同研究の成果.論文はPlant Physiologyの表紙に掲載.本研究ではプレッシャーチャンバー法による水分状態計測と,木部放射細胞と仮道管におけるpicoPPESI-MSを用いた1細胞代謝産物計測を担当. 共同研究の成果の創出に大きく貢献した.

最近では,picoPPESI-MSを応用した超微量溶液中の分子計測や,原形質流動によって植物細胞内を移動する1細胞小器官をターゲットとした分子計測(図2.4,Nakata et al., 2022参照)にも挑戦しています.

今後も,細胞レベルの環境応答や生理障害などの細胞間不均一性を中心テーマに据えて研究を進めていきます.

図2.4 トマト毛状突起1細胞での生体計測の流れ(Nakata et al., 2022).

1細胞生体計測法(picoPPESI-MS)を用いた研究報告リスト
安定同位体トレーサー解析と質量分析計とを組合せた解析法

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研究内容3:植物水分状態計測

通常の植物体の体積の9割は水で構成されています.植物の葉の表皮細胞1個に注目すると,細胞質内の大部分を占める液胞で溶質濃度を調節し,その細胞内には自動車のタイヤの空気圧の数倍に匹敵するほどの力(「膨圧」)が生じています.膨圧は細胞膜を横切る水輸送やイオンなどの溶質の透過率,更には細胞内の生理代謝にも密接に関与しています.従来から,膨圧は環境変化に対する順化の程度を示す生理学に重要なパラメーターとして知られてきました.さらに,最近の研究では,植物の遺伝子発現に膨圧が関与していることも示唆されています(Nakata et al., 2022).

私達の研究室では,この植物細胞の膨圧を直接計測できる世界で唯一の計測器として知られる「セルプレッシャープローブ法(CPP)」(図3.1)を駆使した研究を行っています.代謝産物計測に関しては,近年,この方法と質量分析計を組み合わせた1細胞生体計測法を開発し,生理障害を始めとする細胞間不均一性の解明に用いています(研究内容1・2参照).

図3.1. ポット稲を対象にした「セルプレッシャープローブ」による玄米胚乳細胞の膨圧計測の模式図.デジタルマイクロスコープを用いてガラス管内のメニスカスを操作する(和田,2018,「米の外観品質・食味」参照).

細胞膨圧とともに,植物の水分状態のパラメーターとして重要な「水ポテンシャル」の測定については,±0.01MPaの世界最高精度を誇る「等圧式サイクロメーター法」(図3.2)を研究室で自作し,実験に用いています.

図3.2. 左図は「等圧式サイクロメーター」のシステムの概略図.右図はサイクロメーターチャンバー部の断面図を示す(和田,2018,「米の外観品質・食味」参照).

セルプレッシャープローブで細胞の膨圧を計測した後,同じ細胞から採取した微量の細胞溶液を対象に「ナノリットル浸透圧計」を用いて,その浸透圧を決定することで,細胞の水ポテンシャルを求めることができます.また,植物の葉を対象にした比較的簡便な水分状態計測法として,「プレッシャーチャンバー法」があります.この方法を用いると,実験室内にとどまらず,圃場レベルでの農作物の水分ストレス診断が可能です.

以上のように,研究目的に応じて,原理の異なる複数の水分状態計測器を併用し,計測値を比較・検証することで,細胞から組織・個体レベルで信頼性の高い水分状態計測を行うことができます.温暖化の進行により,今まで以上に農作物の「水管理」が重要になっています.研究室では,植物水分状態計測を駆使し,実験室内の基礎研究から圃場条件下で生育する農作物の生理解析まで,鳥瞰的な視点で研究に取り組み,食料生産の安定化に貢献します.

図3.2. 左)高級温州みかん「真穴みかん」の生産地として知られる愛媛県八幡浜市真穴地区.愛媛県デジタル実装加速化プロジェクト(トライアングル エヒメ)に株式会社アクト・ノードと共同で参画中(温州ミカン樹体のリアルタイム水分状態診断法の検討,令和5年度~).右)温州ミカン農家圃場にて実施中の携帯型プレッシャーチャンバーを用いた水分計測の様子.

参考図書:
Boyer(1995)Measuring the water status of plants and soils, Academic Press
野並浩(2001)植物水分生理学 養賢堂
和田(共著)(2018)「米の外観品質・食味(松江勇次編著)」養賢堂

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研究内容4:その他(準備中)

研究室の沿革